私のオリンピック・ジャーニー

東京2020大会

こんにちは。

7月23日に迎える東京オリンピック開会式まであと5日、パラリンピック開会式まであと37日に迫ってきました。

2020年東京大会の開催が決まったのは、2013年9月7日。アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会でした。もう8年も前になるのですね。

当時の歓喜の様子やプレゼンテーションの映像を、ついこの前の事のように覚えている方も多いのではないでしょうか。

それから、東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとなる新しい国立競技場やエンブレムをめぐる問題、マラソン競歩の会場移転など、さまざまな問題を乗り越えようやくあと半年で開催、と言うところに新型コロナウィルス感染拡大。

どうにもならない無力感、先の見えない不安を抱えながら、ようやくここまでやってきました。

一人一人、違った思いを抱えての開催となると思います。

私のオリンピック・ジャーニー

さて、私のオリンピックですが、私は東京2020大会フィールドキャスト(大会ボランティア)の一員として活動します。

2013年のIOC総会で2020年東京大会が決まった時、私は「絶対東京オリンピックで何かしたい」と思い、家族に「何でもいいからオリンピックに関わる事を絶対にやりたい!」と宣言しました。

当時は関西に住んでいて、関東に戻ってくる保証もなかったのに、なぜそんな強気な発言をしたのかは自分でもよく覚えていませんが「絶対」をつけて言っていました。

ラッキーな事に2017年に関東に引っ越してきて、「東京オリンピック・パラリンピックにボランティアで参加できるかもしれない。」と、そこから本格的に考えるようになりました。

まずは日本スポーツボランティアネットワークの主催する研修会に参加しました。そこでオリパラボランティアを目指す沢山の方と出会い、知らなかった情報をたくさん得ることができ、皆さんの熱い思いに圧倒され、自分の経験の無さに焦りを感じた事を思い出します。

スポーツボランティアの経験も皆無でしたので、それからマラソンやトライアスロンなどの小さなイベントのボランティアで経験を積んだり、ANOC総会のボランティアなども経験しました。

都市ボランティアは落選しましたが、念願かなって、大会ボランティアとして活動出来る事になりました。

私の担当はEVS(イベントサービス)です。


色々なことが決まらない中、大会前1ヶ月をすぎてようやく現場研修が終わり、その直後に無観客が決まりました。「またか・・・」という落胆と世界中が大変な時代なのだから仕方がないという二つの思い。


イベントサービスの役割は観客の誘導がメインとなるのでボランティア自体なくなるのかと思っていましたが、引き続きEVSチームのサポートとして3日間だけボランティアとしてオリンピックに参加させていただけることになりました。(運営側のお仕事は本当に大変だとお察しします。)

実はブログに書くかどうかしばらく考えていましたが、歴史的にも前例のない大会になると思いますし、私の成長記録にもなる貴重な体験ですので、やはりブログに残すことにしました。

私にできることには限りがありますが、見えないところで懸命に働いている運営の方々のサポートができるように、初心を貫きオリンピックに参加してきます!

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