劣等感と劣等コンプレックスの違い

アドラー心理学と私

こんにちは

「劣等感」と聞くと、どんなイメージが浮かびますか?

良いイメージですか?  

悪いイメージですか?

私は悪いイメージでした。

劣等感を辞書で調べてみても、
「自分が他人より劣っているという感情」と出てきます。

劣等感とは
自分が他人より劣っているという感情
反対語は優越感

広辞苑第7版より引用

劣等感に対する私の解釈がガラッと変わったのは、次のように教えてもらってからです。

「劣等感は、今の自分んとなりたい自分とのギャップによって生じるもので、そこにはどうしても、焦りや、不安や、もどかしさ、といった感情が出てきてしまうけれど、それはなりたい自分に近づくための原動力だから、決して悪いものではない」

これを聞いて、当時気持ちがスーッと楽になった事を思い出します。

劣等感は悪いものではないし、他人との比較で生まれるものではない、がポイントでした。

のちに、アドラー心理学の勉強を通して、劣等感と劣等コンプレックスに違いがあると知ったのですが、当時はこの二つの違いを意識して考えたこともありませんでした。

そんな人のために、今日はこの二つの違いについて書きたいと思います。

劣等感とは

どんな人も、理想の自分に近づきたいと願っていて、そこを目指して努力をしているのですが、

その、理想の自分と現在の自分とのギャップによって生じる感覚を劣等感と呼んでいます。

劣等感は誰でも持っているもので、他人との比較によるものではありません。

また、劣等感をきちんと定義したのはアドラーが最初だと言われています。

劣等コンプレックスとは

劣等感にさまざまなものがくっついた複合体が劣等コンプレックスになります。

コンプレックスとは

コンプレックス - Wikipedia

劣等感はふわっと感じるだけだったのに対して、

劣等コンプレックスは、劣等感に余計なものがたくさんくっついて、凝り固まったモノになってしまったイメージです。

私たちがよく口にする「私は劣等感の塊なんです。」と表現するものが劣等コンプレックスになります。

劣等コンプレックスは嫌なモノですが、便利な道具として使う事もできます。

それが言い訳です。

例えば、

ブログを定期的に更新すると決意したのに、「どうせ私は文章書くのが下手だから、人より書くのに時間がかかる」という劣等コンプレックスを言い訳にして、定期的にブログを書くことから逃れようとします。(←私のこと)

(こういった、自分の課題に直面した時に劣等コンプレックスを使って回避しようとすることを自己欺瞞と呼んでいます。)

まとめ

「私は劣等感があるけど、理想の自分になれるように努力をする。」というときは誰にでもある劣等感。

「私は劣等感がある。だから課題はあるけれど努力を避ける。」というときは言い訳として劣等コンプレックスを使っている。

となります。

劣等コンプレックスに発展させないためにも、劣等感を感じたらまずは自己受容をしてありのままの自分を認めることが、より良い人生を歩んでいくための近道では?と思っています。

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