こんにちは
一昨日、「つみたてNISA」入門の入門というセミナーに参加しました。
「つみたてNISA」を始めたのは昨年10月。全くの初心者なので、いくつかセミナーに参加してから始めようと思っていたものの、機会に恵まれず、自分なりに情報収集してビクビクしながらまずはスタート。
先日ようやく入門セミナーに参加する機会があり、改めて見直しをしたり、出来ることは変更していきたいと思い、参加しました。
投資はあくまでも自分の責任で行うものですが、そのために必要な基本的な知識も教えていただき、「株式に投資するとはどういうことか?」「ファンドの選び方のポイント」など、資料を交えて考えていく時間はとても有意義なものでした。
また、「生活に影響のない余裕資産で、心穏やかに投資を継続できる範囲で続ける」という考え方に大きく納得できました。
さて、今日の本題はセミナーの話題ではなく、その時に見せていただいた資料の一つから発展した学びについてです。
その資料が「世界時価総額ランキング」平成元年と平成最後の年との比較というものです。
この資料を見て驚いたのは、平成元年は日本の企業がトップにずらりと並んでいるのに対して、平成最後の年は日本の企業が見当たらない・・・。びっくり!!
なんとなくそんな現状をどこかで小耳に挟んだ気はしていましたが、意識して目にすると驚いてしまいました。
ググったらこんなサイトを見つけたのでご参考まで

そういえば、30年前に比べて初任給の額も大きな上がり方はしていないと聞いたことがあるし、ここ数年ハワイに旅行に行った人からは、何を食べても日本より値段が高く、日本の物価の安さを身に染みて感じたとも聞いた事もあり、
こんなに無知な私でも、「ひょっとして、日本って成長できていないの?世界から遅れをとっているの?日本はこのままで大丈夫?」という何だかわからない不安を抱いたりすることがありました。
でもその「根拠になるものが何か?」について全く考えてこなかったし、「現状が少しでも良くなるために、これから私は○○をしていこう!」という具体的な視点を持ったことが全くありませんでした。
※ ※ ※ ※ ※
この思考回路を自分自身の問題に置き換えたら、何か見えてくるのではないか?と思い深掘りしてみました。
※ ※ ※ ※ ※
私は、表面上では頑張って成長しているように見えるけれど、
「私はこのままで大丈夫なのだろうか?成長できていないのではないだろうか?」という不安をなんとなく抱いている。
その不安を辿っていくと、
▼家族に対してきつい言い方をまだしている。
▼私ばっかりこんなに頑張ってるのに、あの人は協力してくれない、って心ではまだ思っている。
▼こんなに私がアドバイスしてあげてるのに、どうしてあの人は素直にやらないんだろう、と思ってずっとイライラしている。
という事実に辿り着く。
でも、そうなってしまう根拠は何か?については、正面から考えてこなかった。
(自分では気付いているけど認めたくなかったからとも言う。)
それは、
私は、自分が「世界の中心」で、私は特別な人だ!と思っているから。
(ガガ〜ン・・・・)
↑ 共同体感覚のない人です。
ショックですが・・・これが事実。
共同体感覚を身に付けるために日々さまざまな経験から学習しているので、
今はそれでいいんです。

アドラー心理学を学んでいて、自己受容という言葉がよく出てきます。
自己受容とは「自分が自分自身を受け入れる事」です。
前回こんな記事を書いておきながらではありますが、
アドラー心理学では自己受容するために、まずは「不完全である勇気を持つ」と言われます。
自分にとってわかりやすい不完全な姿は、受け入れる事も比較的簡単なのですが、しばらくするとまた心で不協和音がする。
それはまだ受け入れていない不完全な自分がいたり、
自分の不完全さや不完全の正体が分からなかったり、
そもそもそれを認めたくないという思いがあるのではないか?
と思ったわけです。
う〜む。ここまで考えた事がなかった・・・。
目に見える不完全な自分を認める事ができたら、
認めたくない自分にも目を向けられる様になって、
不完全な自分の正体も見えてきて、
また、もう一歩先にある不完全な自分も認める事ができるのかも?
こうやって、何事も一歩一歩、進んでいくのですね。
つみたてNISAの入門セミナーに参加したはずが、
そんな事まで考えさせられたとは・・・・(笑)
何だかよく分からない文章になりましたが、
ゴールデンウィーク前半、つみたてNISA入門セミナーで有意義な時間を過ごした、という話でした。

コメント